Twitterでクソリプや罵声を飛ばしてくる奴は、実生活でもうだつが上がらない情けない奴だと言うの、エビデンスはないけど俺が保証する!
— Isseki Nagae/永江一石 (@Isseki3) 2019年1月10日
まさにこの通りだと思います。
クソリプのことは今まで何度か書いていますが、クソリプとはどのようなもの、どのようなことを言うのでしょうか。
クソリプとは
文句や批判や投稿に対しての否定がクソリプと感じる人が多いと思います。私は文句や批判がクソリプなのではなく、こちらが書いたものを全部読まずに見当違いの文句、勝手な解釈違いをしての文句、何に対しての批判なのかわからない意味なし文句がクソリプだと思っています。
例えばこんな感じのがクソリプ
これは私のフェイスブックです。2つだけのコメントですが、どの部分に対してどう不愉快と感じたのかが書かれていないコメント。私に嫌な思いをさせることだけが目的のコメント。クソリプです。
クソリプに対して具体的な返答をお願いするコメントを書いたのですが、今のところ無反応です。そのうちの1人には具体的に書いてくださいとのコメントを入れた後にブロックされてます。
私を不愉快にさせる意図で一言だけの文句コメントを書きブロック。もう1つのコメントを書いた人はその捨てセリフに対していいねをしています。
コメントを読んで私がどう感じると思っているのでしょうか。自分の書いたことや考え方が間違えているとか、落ち込んだりすると思っているのでしょうか。
残念ながらこのようなコメントが沢山書かれたとしても全く不愉快な気持ちになりません。特にこの投稿に関してはコメントを入れてきた人のようなことを書いたので、やっぱり書いた通りですね!って思いました。
現実社会では関わったことがない人達ですし、今後も一生関わることのない人達です。この投稿に対してこのコメントを入れてしまうことが、どのようなことを意味するのかがわからない人達ということです。
ひどいねが5こ付いていますが、ひどいと思うならどこがどうひどいと思ったのかコメントに残すべきだと思います。
友達同士、趣味でやっているフェイスブックの投稿に冗談でひどいねを付けるのは適当で良いと思いますが、フェイスブックページの投稿にひどいねを付けてコメントを入れない行為、何の意味があるのか全くわかりません。
私のことをバカで救いようがない人と思うならスルーすれば良いのです。ひどいねを付けるのであればどこがどうひどいと思ったのかをコメントに書くべきです。
どうするかは人それぞれ自由ですが、自分の意思を伝えるコメントを書かずにひどいねを押すだけの行為に意味はないと思います。
おそらくひどいねを押しただけの人も私に不愉快な気持ちにさせたくて押したのでしょうしかしコメントと同じで呆れるだけで全く不愉快な気持ちになりません。
ぜひ私の目の前で、私の目を見ながら言ってもらいたいです。言えますか?実際に目の前で言える人が捨て台詞コメントやひどいねだけ押していくことなどないと思っています。
ブロックについて
フェイスブックはログインをしないと使うことができないのでブロックをされてしまうとブロック相手にアクセスできなくなってしまいます。コメントを入れられないだけでなく、ブロック相手の内容も全く読めなくなってしまいます。しかしツイッターはログインしないとリプライを送ることはできませんが、ログインをしなくても内容を読むことはできます。ツイッターでブロックをすることの目的は不愉快なクソリプが送られてくるとをストップすることが主な目的です。
ということなのでツイッターはクソリプ送ってブロックしても相手のツイートは問題なく見ることができますし、別アカウントを作ればツイッターもフェイスブックもブロック相手にアクセス可能です。
クソリプを送ってくる相手に対してブロックで対応をすることは有用ですが、クソリプを送ってブロックしてもあなたにアクセルすることは簡単にできてしまうのです。
ネットだから匿名性があると思っている人がいると思いますが、現実はネットだからこそ証拠が残ってしまい簡単に本人に辿り着くことができてしまいます。
これは60年くらい前にエベレット・M・ロジャーズ氏が確立した理論を図で表したものです。アーリーアダプターとアーリーマジョリティの間にキャズムと言う、越えることがほぼ無理なくらい大きな溝があります。
この溝を挟んでの議論は成り立たないのでしょうね。
何にしても相手を目の前にして目を見ながら言うことができないコメントやリプライをすることは自分の価値をさらに下げることになるので要注意ですw